歳時記
尾呂志のお米って、なんでおいしいん?
なんで尾呂志の米は、おいしいんかな?
尾呂志のお米を食べたとき、そんな素朴な疑問がわいてきた。
あきらかに他の地域とは違った美味しさがある。
米づくりをしている人のほとんどは「自分のところの米が一番美味しい」と思っているが、そんな人でも内心(悔しいが)負けている・・・と思うようだ。
きっと他とは違う「ひみつ」があるに違いない。
尾呂志で米を作る人に聞いてみた。
どうやら米づくりとは、稲を単純に育てるだけではないようだ。
ここ尾呂志にしかないものが一つある。
一年を通して吹き抜ける風「風伝おろし」。
冷たい風が吹きつける冬でも、尾呂志の人々は風伝おろしの恵みを感じながら暮らしてきた。
米にとっては、朝露を吹き飛ばし、害虫がつきにくい環境をつくる。
風がつくる昼と夜の寒暖の差が、米にうま味を加えてくれる。
そして、熊野の山々から流れ出る「水」。
当たり前のように流れる川の美しいこと。
その源には山の神が祀られ、手を合わせる里の人々の姿が目に浮かぶ。
いつの頃からかご先祖様が切り開き、代々耕し続けた田んぼ。
昔の苦労話の中に見えてくる、今ではうらやましいくらいの集落の一体感や生活感。
長い時間の中で変わってしまったこと、変わらなかったことがある。
尾呂志の小・中学生が共に通う学び舎「尾呂志学園」では、地元の農家に教わりながら、昔ながらの方法で米づくりをおこなっている。
地域と一緒になって、その知恵を学びながら作るお米は、毎年待ち望んでいる地域の人々に食される。
もっとちゃんと米づくりのことを知りたいと思った。
そして多くの人に知ってほしいと思った。
そこから生まれてくるもののこと、大切にされてきたこと、想い出の中のもの、今も受け継がれているもの・・・
春から冬まで一年を通して見ると、美味しさの「ひみつ」が感じられるはず。
そこから、この歳時記づくりが始まった。
やさしい眼差しで田んぼや畑を見つめるおいさん、おばさんたちの控えめな言葉の奥にあるものを想像しつつ、再び問いかける・・・
なんで尾呂志の米は、おいしいんかな?